第24回 早坂茂三さんの遺言 その17

早坂茂三さんの遺言 17  越山会の原点

「早坂先生、田中政権誕生後は『裏日本』という表現がテレビやラジオなどから消えましたね」と私が言いました。

早坂茂三さんが「そのとおり!!」と言って話を続けました。

「イノウエさん、越山会の原点は日本農民組合なのですよ」
 早坂さんは話題をかえたように思う私でした。

「本当ですか」と問いただす私に、早坂さんは「びっくりしましたか?アッハッハッハ……」と笑ってかわいい目で(教えてあげるよと)私に合図しました。

「戦前の農村は6割の小作農が4割ものコメを地主に払わなければならなかった。小作農の生活はたいへん苦しかった。干ばつや大雨に見舞われたら最後、小作人は食べるものさえない状態だった。地主への免税嘆願や争議は大きな社会問題だった。それだけに日本農民組合の役割は大きかった。そういう環境でオヤジ・タナカカクエイは生まれ育った。

 戦後のGHQによる日本の民主化による農地改革は農民の生活を大きく変えた。農民組合の一定の役割は終わったかに見えたが、次にこの裏日本の農民の出稼ぎで、日本の表日本の経済成長を支えてきた。

 オヤジは新潟県西山町だ。この米沢と同じ豪雪でしょ。雪による閉ざされた道路や病院は住民の命や生活に大きな影響を与えていた。あなた方はわかりますよね。

 しかし、あいも変わらず裏日本の国民生活は貧しかった。道路といい河川といい学校といい、そして所得といい、表日本との格差は広がるばかりでいいことがなかった。
 農民組合や農家ではそういう社会の仕組みを変えていくための政治家が必要だった。ここにオヤジが登場した。

 新潟の農民組合幹部には社会主義者や共産主義者のリーダーたちもいた。この人たちがこぞってタナカカクエイの信者になった。
 どうしてか? 答えはカンタン。平等で公平な社会という理想を掲げた社会党や共産党は、いつ誰がどのようにこの裏日本、この新潟の貧しい農村を豊かにしてくれるか、そのビジョンを示さなかった。
 タナカカクエイは農民や選挙民の請願を着実に実現した。日本農民組合の活動家は農民組合のメンバーを誘って越山会を作った、ということですよ」と早坂さんが一気に語るのでした。

 その話に私はまたまた驚き、そして田中角栄元首相のリアリズムの政治実行力がいかに大切かを知るのでした。

「イノウエさん、こんなことで驚いてはいけませんなあ」と早坂さんは私の顔を見て笑うのでした。

 2004年10月9日記


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